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デザイン vs 自然
正反対にある2つの存在、だけどその曖昧にもつれあった関係性には興味をそそられる。自然はその荒々しい環境から身を守るために我々に家を建てることを強いるが、一方、私たちは、例えば庭といった形で自然が身の回りにあることを好む。しかし動詞としての「デザイン」は、気まぐれな自然に対処するためにバランスを計ろうとし、極端な場合には一方が他方を破壊することさえもありえる。従ってデザインは、常に自然によって戦いを挑まれているのです。
私自身の仕事に関しては、私は自然を遊び場のようなもの、または偉大な構造の源、カオス、様々なかたち等と捉えており、これらは生活の上での文化的、感情的な価値を表明する形状の言語へと翻訳可能だと考えています。また自然は、自身のイマジネーションを適用する際の参照点ともなります。私にとってデザインは言語であり、また、私が周りに見るものに対して反応していく継続的なプロセスなのです。
エコロジーという言葉はその点、余りにも未来的なものに聞こえる。それは私が仕事をしていく上で必然的に議論されるべきものとは思えないし、製品をプロデュースする際に必要とされるブランドとも思えない。こうした問題を扱う場合、今の所私にできることは、自身のなす選択に対して責任があるという立場に留まることです。私は私の仕事を、見過ごされている観点を訳出する過程に貢献する一つの試みだと捉えています。
アンソニー・クライネピアと私は、共に今まで様々なセッティングを作ってきました。セッティングは作品をある文脈の中で体験することを可能とします。ステージに上げられているとは言え、それは1つの生きた光景として受け取られることができます。例え個々のアイテムが独自の参照点を持つ実用的な製品として定義されていても、一旦セッティングの内に配置されると、これらのアイテムは消費者向けに差し出された製品のディスプレイとは異なった意味を持ちます。セッティングはそれ自体一つのコンセプトであり、それが強調するのは、私たちを取り巻くものとの関係を見直し、またその中でルールに従って演じることで私たち自身をリフレッシュすることなのです。
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